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エネルギーワークと祈りについて思うこと [ひとりごと]

大震災後、いろんなところで「みんなでエネルギーを送りましょう」とか「光を、愛を送りましょう」とか言うのを見る。

これがどうにも気持ち悪い。

その人たちはそれが良いと思ってやってるんだし、気持ち悪いと思うのは私の勝手なので、そのままほっときゃいいんだけど、性格的にというか習慣的にというか、どうしてもそのことについて考えてしまう。


愛については以前書いたことがあるので割愛。

エネルギーワークについて。
なんで気持ち悪いと思うかと言うと、これは基本的に自分のため、もしくは人のためであっても頼まれた場合にするもの、というふうに思ってるからかもしれない。

だって、エネルギーというのは人智を超えたところで働くというでしょ。QTでは体の知性というけど、自分の意識とは関係なく必要なところに必要なだけ流れて働く、というような感じで。

で、宇宙には善悪がないというでしょ。

たとえば地球を癒すとかいってエネルギーを送った場合、自然災害が起こることが、地球自体がバランスを取るためには良いことだったりしたらどうするんだろう思う。人間が良いと思う状態がその他のものにとっても良いとは限らないし。

考えすぎ?
そういう可能性だってなくはないとわかってエネルギーを送っているんだろうか。

それに、エネルギーを送るとか、人に言われてするもんでもないと思うし。意識・無意識にかかわらず自分の満足感を満たすというようなエゴが全く入っていないと言い切れる人ばかりが参加するとも思えないし。

大体、これ以上ひどくならないようにエネルギーを送りましょうとか、既にエゴ入りまくりでもうまじでありえん、

とか、超ひねくれものの私は思ってしまいます。 それってコントロールじゃないの?


今回のことで、エネルギーワークって微妙、ってしみじみ思いました。丁度QTインストラクター資格更新の時期なんですが、ちょっと考えちゃうな。


そんな訳で今回私は一度もエネルギーを送るということはしていない。
けど、お祈りしてます。

まぁお祈りもエネルギーワークっちゃエネルギーワークなんだと思うけど。

でもエネルギーや光を送るという、「自分が送る」というものが入らないと思っているので、みんなで祈りましょう、というのはそんなに嫌じゃない。

そんなことを考えていたら丁度「イザヤ・エフェクト」という本が出て、サブタイトルが「古代の預言者と量子論をつなぐ祈りのテクノロジー」というものだったので、読んでみた。

なるほどね~、と思うところが多々ありました。ただ文章は読みづらかった。

平和を祈り、自分の中でそれを選択するということはやっぱり大切なのね。

自分の中でそれを選択する、というのとは、私は程遠いところにいるような気がする、この日記書いてる時点で[ふらふら]

精進します…


ところでこの本、どうやら1999年に書かれたものらしい。12年経った今読むと、ちょっと怖いところもあったりする。


前に武漢の祈りについての記事を読んだけど、方丈のあいさつの言葉の中にあった「すべての衆生の幸せと、世界平和、社会が安らかであることを祈りましょう」という言葉。
災害は世界中で起こっているし、武力衝突もある。日本だけじゃないんだよね。日本だけ平和になるということは、多分ありえないと思う。

だから、私は東北の復興についてもだけど、世界平和を祈る。祈るのはタダだし。おっきくて良いよね。

まぁその前に自分の中の平和なんだけどさ(爆)



しかし地球で起きている災害やら何やらは自分たちの状態を反映しているもの、というようなことをこの本には書いてあったけど、リチャードコシミズが言っていることが本当だとしたら、そういうことにも平和の祈りというのは通用するのだろうか?

ほんとのところが知りたいよな~。

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